アルティメットを始める君へ(9)



日本一(9)

日本一になり、横浜スタジアムで開催されたアルティメット王座決定戦に出場した。相手は全日本大会で闘った同じチーム。ぼくの両親、妹、横浜に住んでいるおばさん家族が観戦に来てくれた。生まれて初めてプロ野球の開催地に立つと、嬉しかった。プロ野球選手みたいだと思った。そしてやはり舞い上がった。練習では人工芝の感触と怖さを知った。昔の人工芝は、まだまだ発展途上でダイビングをすると擦りむき大きなケガになった。
試合開始。先取点のチャンスがやってきた。ぼくへのシュート。ダイビングキャッチ。練習中の先輩のケガが脳裏に浮かぶ。キャッチミス。大きなチャンスを逃したぼくらは流れを逸し、あっという間に7点差を付けられ、途中追い上げるも、ビハインドのまま試合は終了した。悔しかった。今でも、ぼくのせいで負けたと思っているからビデオはできるだけ見ないようにしている。

8月に宇都宮市で開催された世界大会のメンバーに選出された。初めての日本代表。嬉しかった。もちろん2軍か3軍。それでも日本代表は日本代表。代表メンバーには、アメリカでアルティメット修行をしてきた人やディスタンス日本記録保持者がおり、勉強の場だった。疑問をぶつけると必ず返ってきた。練習にも付き合ってくれた。人の温かさを知った。同級生にはびっくりするほどスローが上手は人、ダイビングキャッチが上手な人、冷静なサウスポー。振り返るとぼくの年代はタレント揃いだった。のちにKABUKIという同級生チームでドリームカップに参戦したが、思えばさきがけだったのだろう。
ずっとスローを投げていた記憶がある。ぼくは同級生たちと試合に出ていた。スローが飛ぶようになったぼくはロングシュートを常に狙っていた。面白いように取ってくれる同級生がいたからだ。パスをもらって彼にシュート。あの時のぼくの頭には彼しかいなかった。傲慢だが2人でアルテをしていたといってもいいだろう。だから一生懸命パスをもらえる位置を探した。パスがもらえない時にどうして今の走りでもらえなかったのかと訊いてまわった。シュートがしたくてたまらない一心だった。

世界大会は3位に終わった。優勝を目指していたから残念だったそうだが、ぼくとしては満足だった。世界大会で得たものはたくさんあった。体力、技術、試合観。真剣という言葉の意味。一番大事なものはやはり”人とのつながり”だった。

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