震災から

今日で3回目の春を迎えます。
震災当時、物資が少なく、車を乗るのを控えたり、電気をこまめに消したりとできることを少しずつやっていました。
まだ福島県は復興どころか復旧さえもままならない状態。地震が起これテレビをつけ安全を確認し、暴風警報が出ればラジオでニュースに耳を傾ける。そんな不安定な状態にも関わらず、震災以前と変わらない生活をしていることに気がつきます。
必要に迫らないと動かない、と家人が言っているように確かに必要に迫られてないのですね。電気は通っているし、ガソリンも流通しているし、物資だってある。全てお金を出せば買える。お金だってアベノミクスで給料が上がるらしいから物価が上がってもさほど問題ない。
それでは、ぼくらは何を震災から学んできたのか?

今日という日を、それを考える契機にする日にすることが、答えなのかもしれない。

ぼくらの生き方を考える、数少ない1日に。

ぼくたちは知らず知らず子どもたちへ生き方自体を伝えています。ぼくらの生き方自体が彼らにとっては教科書なのです。教科書というと堅苦しいですが、そこが平均値になってしまっていると思うのです。そして平均値から反対へ行くことは可能だとしても(いわるる反面教師)少し下げるという行為は難しい。例えば、車で送ってもらっている日常から歩いていく日常へとは移行しにくい。世の中がそうなればまた話は別ですが、一人の力では到底できない。だからこそ社会全体で何かを動かしていかなくてはいけないと知識人は訴えているのでしょう。

社会を変える言葉で今、思いつく言葉はやはり、MOTTAINAI。

もったいない精神こそ、今目指すべきイメージだと思います。

震災から学んだこと、それはMOTTAINAI精神を常に持ち続けることとそれを伝え続けること。ぼく一人ではできませんが、それを3人の子どもたちに伝えることはできます。3人がそれぞれ家族を持ち、それを伝えていければいずれ社会は良い方向に変わっていくに違いありません。

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