アルティメットを始める君へ(8)



キャプテン(8)

キャプテンになりたかった。クラスの学級委員にもなったことが無かったから。中学校の柔道部では副部長。高校のサッカー部では係無し。いつかクラスやチームを引っ張っていきたかった。いや今思えば引っ張っていた学級委員長やキャプテンに憧れていたと言ったほうが良いかもしれない。

フライングディスクサークルのキャプテンを決める日が来た。ぼくはもちろん立候補した。けれどもチームメイトは冷ややかな笑みを浮かべていた。キャプテンは決まっていたのだった。
決まったキャプテンは容赦なかった。先輩だろうが、下級生だろうが、遅刻した人には等しく罰を与えた。練習試合にも出さなかった。無断で休んだ人も同じだった。社会に出たら当たり前のことだが当時は上手であればある程度許されるという風潮が無かったわけでもなかったから彼のキャプテンシーは通例とはかけ離れていた。キャプテンが休みと決めなければ雨が降っていても独断で引き返してはいけない。口癖は、”死ぬ気でやれ!”。以前ぼくがoneが嫌だなとつぶやいた時に激怒した彼は、ストイックなほどに自分を律していた。一度彼のアパートに泊まりにいったときのこと、目覚まし時計がない事に気がついてどうしているのか聞いてみると、時間になると自然に起きるのだという。酒を飲んだ次の日の朝も起きれるのだという。のちにぼくが結婚し妻と一緒に生活するようになった時に同じような人がいるのだなと忘れていた彼のことを思い出したことを覚えている。自分を律する人は自分が起きる時間まで律してしまうのか。学生時代には思いもつかなかったことだった。しかし大会運営や試験など朝早く起きなければいけないときは目覚まし時計が無くても起きているのだから、誰にでも必ずできるのである。

当時の練習は思い出したくない。それほどまでにきつかった。常に走っていたというイメージしか無い。それでもぼくは木曽三川での先輩からの想いを受け継いでいたから、平日の夜に近くの公園で走った。30分間インターバルトレーニングをした。時間があればチームメイトとスロー練習をした。
その年は、8月に宇都宮で世界大会があるから5月に全日本大会が行われた。世界大会の会場となる宇都宮での開催だった。決勝は前年と同じカード。ただ違っていたのは、決勝のギャラリーだった。うちの大学のサークルは当時男女合わせると100名近く居り、その100名がコートの回りを囲むように応援していたことだ。決勝戦序盤ぼくの同級生でチームの中心選手がケガで戦線離脱。絶体絶命のピンチだった。しかしケガでチームが1つになったのかゾーンディフェンスが効き、相手の中心選手がスローミスを連発し、ブレイク。そのままの勢いで日本一にたどり着いた。万感の想いだった。先輩からの想いを果たすことができた。決勝戦の後の空気感は今でも忘れられない。
あとでビデオを見ると一人ひとりが自分の役割をきっちりとプレーしており全体で勝ち取った日本一だった。ビデオを見た後、キャプテンは間違ってなかったとほっと胸をなで下ろした。自分がやらなくて良かったとさえ思えた。そして自分を律することの大切さも学んだ。自分がやりたいことをしていけば勝利に近づくのではないのだ。勝つためにしなければならないことは何かを見つけ、実行していくこと。それがチームを勝利へと導くのだ。
個人的には前年と同じくきちんとしてプレーができていなかったと反省している。自分は何ができて何でチームに貢献できるのか。oneに入って先輩方のお陰でプレーできていたことを認識せず、自分というものをきちんと見つめてこなかったツケがきていた。

気づかせてくれた彼は日本一のキャプテンだった。彼は間違いなくぼくの中で日本一のキャプテンだ。

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