アルティメットを始める君へ(6)


初めての世界大会(6)

1991年にカナダのトロントで開催された世界クラブチームアルティメット&ガッツ選手権大会に参加した。この頃の世界大会派遣は手を上げればどのチームも参加できたから今から思えばいい時代だった。もちろん自費。ディスク1枚2,000円でできるよ!と言われてフライングディスクサークルに入ったつもりが世界大会の出費が何十万円!親には本当に迷惑をかけたと思う。しかし火がついたら速いのが男子。アルテにのめり込んですぐに世界大会へ出発した。
世界大会でしかできないこと。それはガイジンのチームと対戦することと世界一のチームの試合をライブで観戦できること。2013年の今でこそ文化シヤッターBUZZBULLETESが世界屈指の強豪チームだが1991年当時は全日本決勝で対戦する2チームが20位前後だったと記憶している。世界大会はびっくりすることばっかりだった。会場はサッカーコートが26面とれる会場でどこまでいっても芝生だった。会場にはゴルフのカートが走っていて、飲み物やバナナなどを運んでいた。洋式トイレのドアは下から80cmくらい開いていて、男子の便器はつま先立ちしないと届かない。お昼のサラダには生の米が入っているし、ゲータレードは紫など色とりどり。僕たちが一生懸命投げても20mくらいしか飛ばない風の中、50mもアップサイドで飛ばすおっさんのガイジンはいるし、頭の上からダイブブロックしてくるガイジンもいるし、僕の顔の前に短パンがある背の高いスウェーデン人チームは教科書通りカットを踏んでミートしてくるし(ぼくたちは小さいのだから奥に走って投げてしまえば簡単に得点ができるのに!)、最後の試合は結局日本人チームでの対戦だった。一番肝を抜かしたのは、やはり決勝戦だった。当時無敵を誇るN.Y.N.Y.(ニューヨークニューヨーク)とボストンのBIGBROTHER(ビッグブラザー)。先取点はN.Y.N.Y。ぼくと身長が変わらない人が身長が2m近くあるディフェンスしかも二人に競り勝って取った。会場が度肝を抜かれた彼の名前はケニー。スパースターだった。youtubeにも当時の様子があるかもしれないから一度探して観るのもいいだろう。N.Y.N.Yは当時フォーメーションオフェンスをしていた。一人ひとり動きが決まっているオフェンスだ。これは役割がはっきりする分プレーしやすい。このオフェンスを止めるためにクラムというディフェンスが考案されたそうだ。今の学生にはこのフォーメーションオフェンスは有効だと思う。それは動きを制限されているため、かえって動きやすいというメリットがある。まじめなチームが相手であればディフェンスもきちんとついてくるからフォーメーションオフェンスで効果的に得点できるだろう。ただし、難点もある。先ほど話したがゾーンディフェンスには無効になってしまうし、ポーチされたらフォーメーションを変更しなくてはならない。フォーメーションオフェンスにはもう一つ良い面がある。それは、スペースを認識しやすいということだ。誰がどこでどの順番でもらうかがはっきりしているためもらうタイミングでスペースを空けなければならない。この時間とスペースの関係が把握できればアルティメットでの活躍が期待できるだろう。もちろんイメージトレーニングが一番の近道だということを忘れてはならない。イメージトレーニングの最初は妄想で良い。こうだったら格好いいなで良い。次に尊敬する先輩やプレーヤーを登場させ、徐々に現実へと移行していく。そして同じチームのメンバーで素晴らしいプレーのイメージを膨らましていくのだ。そうすることで試合中自然と身体が動く準備ができる。試合中にいろいろ考えているようでは相手に見透かされてしまう。

たくさんの収穫があった世界大会。
アルティメットに対する想いが強くなったと同時に、チームに対しての愛着がわいてきた。大会が終わった後の観光で行ったナイヤガラの滝で、一緒に行ったチームの人たちと木陰で1時間も昼寝をしてしまったことが一番の思い出だ。

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