アルティメットを始める君へ(3)



ここでアルティメットという競技について触れよう。

コートの広さは100m×37m、コートの両端から18m以内はエンドゾーンと呼ばれる。7人ずつ敵、味方に分かれて一枚のディスクを投げ、パスをつないでエンドゾーンを目指す、バスケットボールアメリカンフットボールを合わせた競技で、フライングディスク(いわゆるフリスビーだが、フリスビーは商標であり一般名称ではない。通称;ディスク)を用いる。フライングディスクを保持している人は軸足を固定し、味方にパスを投げなければならない。敵ディスクを保持している人が10秒以内にパスを投げさせるように3m以内に近づいて1秒間隔でカウントする。エンドゾーン内でディスクをキャッチすれば1点ずつ加算され、8点でハーフタイムの17点先取が一般的だがローカルルールも多い。特長的なのは審判がいないことで、自分たちでジャッジするセルフジャッジで行う。基本的にはボディコンタクトなどのファールを起こさない『スピリット・オブ・ザ・ゲーム』の精神が尊重される。歴史的には、1960年代にアメリカ合衆国ニュージャージー州メイプルウッド市コロンビア高校の生徒ジョン・シルバーによって考案されたニュースポーツで、世界選手権や、クラブチームトーナメントも行われている。(Wikipedia参照)



初めてのアルティメット全日本大会。兵庫県神戸市しあわせの村。
練習にもほとんど行かず、大会だけの参加のぼくは1年生チームでの出場だった。
当時は同じ大学で何チームでもエントリーしても良かった。うちの大学は部員が50名近く居たので3チームの出場。1(one)が一番強いチーム、3(three)の1年生チームは確か8名か多くて10名だったはずで、ぼくらは数試合をしたが、ぼくは1本もパスがもらえなかった。1本も。真田堀(大学のグラウンド名)での練習では問題なくパスがもらえていたから、自分自身軽く考えていた。

ショックだった。

練習に出ていないとはいえ、一本もパスがもらえないとショックだ。
技術も体力も、信頼関係もなかったのだろうと今、振り返れば良く判る。
当時のぼくには相当ショックだった。

全日本大会決勝は、昨年までの王者と上級生チーム”1(one)”の決戦。
真田堀での練習では見た事もない先輩方のプレー、表情、雰囲気。
相手チームの気迫、技術、戦術、振る舞い。
全てに圧倒された。
自分が一本もパスがもらえなかった事など、どこかへ吹き飛んでしまった。

ぼくの人生はここで変わった。

集中した時の、人を惹き付ける何かに取り憑かれてしまった。それは、高校生の時に味わった経験と一緒だった。
ぼくがいた高校には35kmの競歩大会があった。
高校から背あぶり山を通り猪苗代湖の湖畔まで行って、帰ってくる。
ぼくは折り返し地点から走り始め、背あぶり山の下り坂で周りの景色が流れていくのを感じた。自分が空を飛んでいるように走っていた。漫画みたいな光景だった。全く疲れもせず、放課後の部活も普通にやった。
あとで知った事だが、この感覚は『ゾーン』と呼ばれるものだった。

その『ゾーン』を、見ているだけで感じた決勝戦。
鳥肌がたった。
時が止まったように感じた。

あの舞台に立ちたい。

ぼくは、変わったのだ。

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