じいやの命日
昨日、2月12日。
ぼくの祖父、竹一郎の命日。
2012年2月12日に92歳で亡くなった祖父は、
40年前にりんごを始め、うちの基礎を作ってくれた。
太平洋戦争から無事に帰ってきて、大変な時代を過ごしてきたはずなのに
時折見せる笑顔がやさしかった。
もちろん厳しい一面も持ち合わせていて、ぼくの幼少の頃、
悪いことをすると必ずとっつかまってげんこつされた。
小学校で一番速かったぼくも、祖父にはかなわなかった。
忘れられない思い出が有る。
ぼくら悪ガキ隊が山の中に樹上基地をつくることが楽しくなっていたころ。
大きな松の木に樹上基地を作ったはずが、ある日すべて撤去されていた。
ひどいことするなあと落ち込んでいたぼくに、祖父が
『松の木に作ったのか。あれは◯◯さんちの松だ。』
と、悲しげに言ってきた。いつもならひどく怒るところなのに。
ぼくは、◯◯さんにじ祖父が叱られたこと、撤去したことを感じた。
それ以来、ぼくらは樹上基地つくりを止めた。
ぼくは、祖父が困ることと思われること=悪いことを止めた。
1周忌はすでに終わっているけれども、近所の妹さんたちや
娘、息子が集まり、お墓参りをした。会話の中で、祖父の気配を
感じた。皆もそんな様子だった。
人がいなくなることは、寂しい。
でも、思い出が残ることを思うと、またそれもそれでいい。
目下の目標は長生きして、92歳を超えることだ。
ぼくの祖父、竹一郎の命日。
2012年2月12日に92歳で亡くなった祖父は、
40年前にりんごを始め、うちの基礎を作ってくれた。
太平洋戦争から無事に帰ってきて、大変な時代を過ごしてきたはずなのに
時折見せる笑顔がやさしかった。
もちろん厳しい一面も持ち合わせていて、ぼくの幼少の頃、
悪いことをすると必ずとっつかまってげんこつされた。
小学校で一番速かったぼくも、祖父にはかなわなかった。
忘れられない思い出が有る。
ぼくら悪ガキ隊が山の中に樹上基地をつくることが楽しくなっていたころ。
大きな松の木に樹上基地を作ったはずが、ある日すべて撤去されていた。
ひどいことするなあと落ち込んでいたぼくに、祖父が
『松の木に作ったのか。あれは◯◯さんちの松だ。』
と、悲しげに言ってきた。いつもならひどく怒るところなのに。
ぼくは、◯◯さんにじ祖父が叱られたこと、撤去したことを感じた。
それ以来、ぼくらは樹上基地つくりを止めた。
ぼくは、祖父が困ることと思われること=悪いことを止めた。
1周忌はすでに終わっているけれども、近所の妹さんたちや
娘、息子が集まり、お墓参りをした。会話の中で、祖父の気配を
感じた。皆もそんな様子だった。
人がいなくなることは、寂しい。
でも、思い出が残ることを思うと、またそれもそれでいい。
目下の目標は長生きして、92歳を超えることだ。
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