アルティメットを始める君へ(10)


辞めたい(10)

大学4年生の時に出場したウィスコンシンでの世界クラブチームアルティメット&ガッツ選手権大会は学生のときの集大成だった。オフェンスは、ぼくがパスをもらってシュートするようなシステム、ディフェンスはゾーンを多用し、ぼくはショートディープという真ん中のポジション。とにかく動いた。1日2時間の試合を6日間したのだから驚きだ。今では考えられない。最後の試合でダイビングキャッチを試みて、足を攣っただけだったから強靭的体力だったが、チームの底上げ的には良くなかった選択だったのかもしれない。結果は覚えていないが、後輩のH君に投げたバックハンドのロングシュートを覚えている。大きな弧を描いたそのシュートはとてもきれいだった。

大学を卒業する時、ぼくは就職活動をしなかった。大学院へ行って、人類学を勉強しようと思ったからだ。ぼくはもともと生物が大好き。しかし高校の理科の選択のときに、何も考えず、物理と化学を選択した。あるとき、生物の教科書を持っている友だちがいて、疑問に思った。いつぼくは生物を勉強するのだろうか。聞いてみるとすでに選択は終わっているという。やむをえず、そのまま物理と化学を履修したのだった。
中学生のときからゴルフを始めたぼくは、いつかプロゴルファーになりたいと思っていた。毎日毎日学校から帰ると近くの公園でプラスチックでできた穴あきボールにビニールテープを巻いて、コースを作ってフックやスライス、パンチショットなどを練習していた。薄暗いところで、時計の針のチクタクという音を1分間聞くだけのメンタルトレーニングもしていた。正座をして、丹田に意識を納め、60回チクタクを数えるのだが、これがどうして10回も数えているうちに、いろいろなことが浮かんできてしまうのだ。勉強の時に集中できない理由だ。今、子どもたちと一緒に勉強をしていると問題に向かったかと思った瞬間に話しをしてくる。それは問題を解こうと集中した瞬間に話したかったことが思い出されてつい話してしまうのだ。でも集中力がつくとチクタクを数えられるようになる。ぼくがそうだったから。その集中力は勉強にも役立ったことは間違いない。勉強時間の割に成績は良かったからだ。
その頃、愛読していたDr.タイフーンというまんがの主人公はプロゴルファーで物理学者。いつしか、ぼくは彼に影響され、プロゴルファーで物理学者という夢を抱くようになった。物理と化学も悪くないと思うようになっていった。
大学に合格させていただき、物理学科で勉強するようになると、淡い想いは完全にかき消されていった。講義がさっぱり判らなかった。ハイゼンベルグの不確定性原理だとか統計力学だとか量子力学だとか、それを学び進めるための微分積分。いつしかぼくのこころは生物、人類学へと向かっていった。

しかし力が足りず大学院試験が不合格となり、夢半ばであったが、地元に帰った。振り返ればバブル最後の景気であったから同級生と同じく、サラリーマンへの道もあったなあと時折後悔したものだった。
地元に戻ると、近所の鉄工所で働かせてもらった。有り難かったし、手に職をつけようと思っていた。自分が高所恐怖症ということを知ったのもこの頃だ。いつしか家庭教師の話しがきて、毎日のように鉄工所の仕事のあと、家庭教師もしていた。鉄工所の親方の勧めで鉄工所を辞めて塾を開いた。ひまわり塾という数学の学習塾。こじんまりとしていたが一国のあるじとなり、とても嬉しかった。何より、子どもたちの問題を解いたときの爽快な笑顔が楽しみになっていった。
その頃、ぼくは全日本代表メンバーだった。スウェーデンで開催される世界大会へ出場するため東武線で片道4時間掛けて毎週のように通っていった。行きは良いのだが、帰りの電車の中、いつも喪失感というのかどこかむなしさのような感覚があった。

フライングディスクを辞めるという選択が、いつの間にかぼくの心の中に見え隠れするようになった。しかし、その想いをかき消してくれたのが、近くの公園で投げたディスクの美しさだった。青空に向かって放たれた白いディスクはウィスコンシンで投げたあの大きな弧を描いたディスクの光景と同じだった。

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