アルティメットを始める君へ(12)



結婚(12)

ひまわり塾。そう名付けた学習塾は結構繁盛した。母は地元では有名で、彼女がいろいろと口を聞いてくれていたらしい。そうでなければ田舎ではなかなか大変だ。ぼくは数学を教えていた。大学時代は物理学を勉強していたのだが、教える自信は無かった。数学を教えるにあたって、教科書を買ってきておさらいした。
数学を教えるということはある程度得意であったということで、得意であったということは、生徒がどこでつまづくかは判らないのだ。だから勉強ができる学生が教師になることほど不幸なことは無い。ぼくは中学1年生の時に数学がさっぱりだった。2年生になり数学塾に通わせてもらうようになってから数学ができるようになり、好きになっていった。因数分解の1問を1週間悩み続け解いたこともあった。
勉強ができる教師は生徒の、勉強ができない生徒は教師のお互いのレベルが理解できない。できないことや判らないことには必ず原因があり、例えば、方程式が解けない生徒は、文字式の計算ができないかもしれないし、アルファベットが判らないかもしれないし、わり算ができないかしれないし足し算や引き算ができないかもしれない。眠いのかもしれない。もしかしたら脳に特異性があるのかもしれない。ある生徒は9のたし算だけができない。親もそうだという。いろいろあるのだ。
数学を教えることも含めて学習塾は勉強になった。教えることで自分のレベルがアップするということは間違いない。同じ中学3年生でも足し算が怪しい生徒もいれば、高校の数学だって解けてしまう生徒もいるのだ。彼らが中学校では同じ授業を受けているのだから教師も大変だ。ここに公教育の限界がある。ぼくが教師にならない決断をした理由でもある。
そのころ、ひまわり塾に見学を申し出た後輩がいた。夏休みに、2人で来るという。彼女たちは英語を専門にしていたので、生徒たちに英語を教えてもらった。どんな授業をしたのかは覚えていないが、生徒たちの顔がどこかよそよそしく可笑しかった。
稲刈りにもおいでといったが言ったことさえ忘れていた。来るとは思ってなかったからだ。9月に入ると彼女から稲刈りに来ると連絡があった。夢にも思わなかった。
当時の稲刈りはコンバインで稲を刈り取り、たまった籾を籾袋に入れて、あとで回収するというスタイルだった。ぼくらは一緒に、籾が入った袋をトラクターで集めた。運転しているぼくを制して1人で籾袋を荷台に載せる黄色いTシャツの彼女は、かっこよかった。稲刈りが終わると、稲藁の香りが残る田んぼで、スロー練習をした。彼女のスローはとても取りやすいとその時初めて知った。

彼女とは、たくさんの話しをした。ほとんどがアルティメットの話題だったと思うがぼくの人生観みたいなことも話したかもしれない。

12月。ぼくは彼女の両親に、彼女との結婚を願い出た。

『それはいいけど、式はどうするの?』

彼女の母親は言った。

そこまでは考えてなかった。当たり前だが反対されると思っていた。彼女の両親とお会いするのは2回目で、ぼくがどこの馬の骨だかわからないからだ。

『考えていないです。』

『早めにしないとねえ。』

ということで早速郡山の結婚式場に連絡すると、10月18日は仮予約だというのでその日に決定した。

彼女の卒業式の翌日に結納をした。

休みの日だった4月5日に、日が良いということで婚姻届を出した。結局受理されたのは次の日だったことは今では笑い話。

それでも4月5日はぼくらの結婚記念日だ。

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