恐怖心。

誰にでも怖いものはある。

地震 雷 火事 親父

怖いものの代名詞。

それを克服することは文明の課題でもあった。

いまだに地震の克服はできていないが、
多くの教訓は得ているはずだ。

いつのまにか、親父が怖い存在でなくなってしまった。
(それを望んでいるわけではない)

畏怖という言葉が当てはなるかどうか。
私たち人類は畏怖心を常に持って生きてきたと思う。
自然に対する畏怖心。

どうしようもないものに対する恐れからくる
つつましさというか謙虚さというか。
それが信仰にもつながってくるんだと思う。

しかし、個人的にどうしようもない恐怖心もあるのも事実。

それに立ち向かっていくことは本当に勇気がいることだと思う。
誰かに相談できるのであればまだ良い方で、心のどっかにいる(はず)の
何かと戦っている毎日は私には想像もできない。

もしかしたら自分自身のどっかにもそういうものがあるのかも
しれない。見ないふりができているだけで。

煩悩とそれをいうのかもしれない。
仏教の世界で己と向き合う。己の煩悩に打ち勝つために日々修行する。
それほどに煩悩は強いのだろう。

煩悩は108つあるという。
自分と向き合う余生としたい。





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